安楽寺古墳
2025-05-07


安楽寺古墳(あんらくじこふん)は群馬県高崎市にある古墳時代の円墳である。

概要

群馬県と長野県の県境を源流とし、群馬県高崎市の中心部を流れる利根川水系の一級河川烏川左岸の台地上で、安楽寺の本堂裏に安楽寺古墳は立地する。7世紀末頃に築造されたと推定される直径20メートル、高さ4メートル規模の円墳である。埋葬施設は南側に入口をもつ凝灰岩の切石を用いる横口式石槨(石棺式石室)である。羨道の奥に石棺が取り付く構造である。鎌倉期に玄室奥壁・側壁に彫られた仏像が祀られており、通常は秘仏であるが、12年に一度の巳歳にあたる年のみ開帳される。この仏像は、「七仏薬師」と呼ばれており安楽寺の本尊である。仏像は奥壁に3体、左右の壁に2体ずつの計7体が彫られている。墳丘を削って本殿が建てられている。寺野裏の墳丘は半壊状態であり、寺院造営時に削平されたと見られる。石室は南に開口し、本殿は南向きとなっている。羨道部は前幅1.48m、奥幅1.86m、高さ1.80m、長さ2.80m。通常、石室は非公開。遺物は不明。周囲に周濠があった可能性が高い。

異形板碑

「板仏」「平仏」と呼ばれ、追善供養のため立てられた。上部を三角形にして、その下に二条の細い線を併行に彫り、その下に梵字や仏像を彫り込む。安楽寺の板碑は将棋の駒の形状であり、通常とは異なる。年号が風化により判読できないが、鎌倉時代末から南北朝時代とみられる。牛伏砂岩を使った板碑は珍しい。緑泥片岩が多い。

調査

遺構

遺物

指定

アクセス等

参考文献

[古墳時代]

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