清武上猪ノ原遺跡(きよたけかみいのはるいせき)は宮崎県宮崎市清武町にある縄文時代の遺跡である。
清武町は、県内最大の宮崎平野の南端に位置する。清武上猪ノ原遺跡は宮崎県清武町船引の標高62mから63mのシラス台地上に位置する最大規模の縄文時代草創期の集落遺跡である。地質は宮崎平野の基盤である宮崎層群の上位にシラスや火山灰が堆積したものである。 大量の遺物があること、重量のある磨石や石皿が出土していることから、清武上猪ノ原遺跡では縄文時代草創期に定住生活が行われていたことと推測される。「定住生活」を始めた頃の人々の生活を復元していく上で非常に重要な遺跡であり、全国的にも類例の少ない歴史的遺産とされている。
縄文時代草創期では国内最多の竪穴住居14棟、集積遺構56基、土坑19基などが出土した。縄文時代草創期と判定された理由は、(1)貝殻押圧文土器や髑ム文土器が出土したこと、(2)一部の住居の土から桜島薩摩火山灰(約11000年前の桜島の噴火、桜島北岳)が含まれていたこと、(3)住居から見つかった炭化物を放射性炭素年代測定したところ約1万1700円前とされたこと、などである。縄文時代早期の遺物包含層中から1624点の石器が出土した。石鏃、尖頭状石器、石錘、スクレイパー、剥片、砕片、石核、石斧などである。平面形が楕円形で、床面に逆茂木の痕跡と考えられる小穴が検出された土坑を陥し穴状遺構と判定した。竪穴住居跡の平面形は不整楕円形・不整円形・不整方形などである。炉跡が検出された住居跡は5棟あり、そのうちの1棟は石組炉であった。すべての住居跡が同時期に存在していたわけではないことは、住居跡から出土した炭化物を放射性炭素年代測定法で測定すると、11720±40BP〜11380±60BPと年代幅のある測定値が得られたことから言える。
矢柄研磨器は弓矢の柄を製作する道具であるが、今まで東日本で広く分布するが九州では珍しい。岡谷丸山遺跡(長野県岡谷市中央町)、相谷熊原遺跡(滋賀県東近江市)で出土しており、縄文時代草創期に突如現れて消えたと考えられている不思議な石器である。
セコメントをする