北青木遺跡(きたおおぎいせき)は兵庫県神戸市にある縄文時代後期から中世にかけての複合遺跡である。
海岸線に並行に並ぶ砂丘上と堤間湿地に立地する弥生時代前期から後期の遺跡である。阪神電車青木駅から深江駅間の東西最大幅約550m、南北最大幅約250mの範囲(約10万u)と推定されている。弥生時代中期および後期の方形周溝墓や円形周溝墓を8基検出した。供献土器の可能性がある穿孔された前期および中期の壺が出土した。 周溝墓の検出や供献土器と考えられる土器の出土は、弥生時代前期から後期まで継続しており、当地は弥生時代を通じて墓域や祭祀空間として使用されていた可能性が考えられる。
第五次調査で、海辺の砂丘上から8月30日銅鐸が埋納された状態で出土した。遺構を切り取って持ち帰り、室内での詳細な調査に切り替えた。北青木銅鐸と命名した。鉦の上端は失われているが、それ以外は原形を保って残存している。残存高は19。2cm(復元高:約21cm)である。文様はいずれも不鮮明で、表面には亀甲形の皺が多数認められる。形式は四区袈裟欅文銅鐸である。亀山型と呼ばれるグループに属し、近畿地方と徳島県でこれまでに24口が出土している。考古学的観察の他X線透過による内部構造調査、鉛同位体比分析、蛍光X線分析、ICP分析法などの理化学的分析調査を行った。蛍光X線分析では銅・錫・鉛、ヒ素など、古代青銅製品の素材として一般的な元素が検出された。X線透過撮影調査で鈕上半とA面右側鰭に見られた異常なX線吸収差は腐食によるものか、鋳造欠陥によるものか断定できなかった。ICP発光分光分析・ICP質量分析により、銅、錫、鉛)を配合した合金であることが判明した。
4基の木棺墓に木棺が埋置されていた。木棺墓2の棺材はコウヤマキ製である。棺は端を欠損しているが、残存長109.6cm、幅38.4cm、厚さ3.4cmである。木棺墓3の棺材(底板)はヒノキである。木棺墓2の底板の年輪は250B.C.〜100B.C.あたりの年代が推定された。木棺墓3の底板の年輪年代は年代不明であった。
弥生土器 チャート片
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