曲り田遺跡(まがりたいせき)は、福岡県糸島市二丈石崎にある弥生時代の集落遺跡である。稲作開始時期の集落遺跡である。「石崎曲り田遺跡」とも言われる。
日本列島の初期農耕文化をもつ遺跡であり、板付遺跡、菜畑遺跡とともに,弥生期の生活研究に欠かせない資料を提供する。稲作開始期の集落である。日本最古の鉄器などのほか、調査当時において、それまで稲作開始期のものとされていた土器よりもさらに古い土器群(曲り田古式土器)や、大陸系磨製石器などの遺物が発見された。
1979年、1980年、1981年の発掘調査により稲作の始まりを裏付ける土器群や石器、竪穴式住居、支石墓、甕棺墓などが発掘された。方形、長方形の住居址が多数発見される。紀元前4世紀の住居跡から日本列島で最古の鉄器が発見された。土器は、当時において最古の弥生土器と呼ばれていた「板付T式」より古く、「曲り田古式」が最古の弥生土器となった。 現在の野球場グラウンドに隣接した場所に弥生時代の住居跡がある。
遺構は弥生時代の住居跡30がほぼ中央に分布する。いずれも方形プランである。弥生中期前半から後期後半の住居跡11が検出された。墓地は支石墓1、弥生前期の甕棺墓11を検出する。このほか奈良時代から平安期の掘立柱を検出する。
昭和55年の菜畑遺跡(佐賀県唐津市)、曲り田遺跡(福岡県二丈町)などの発掘調査によって、今まで突帯文土器の出ていた層から水田の跡と農耕具、稲作の始まりを証明する大陸系磨製石器などが発見された。これらから稲作開始期の土器編年が再考され、「弥生時代早期」の時期を新設することが学会に提唱された。 弥生時代は近年の水田稲作の発掘により、紀元前9世紀は弥生時代の始まりとされている。 佐原眞は「水田稲作の開始が弥生時代の開始である」と定義した。したがって曲り田遺跡は弥生時代の遺跡となる。
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