大鹿窪遺跡(おおしかくぼいせき)は静岡県芝川町にある縄文時代の遺跡である。
富士山の南西部で、富士川の支流である芝川の左岸、西に傾斜する緩斜面上にある遺跡である。芝川溶岩流の上にある。富士山の火山活動が活発であった頃である。 縄文時代草創期の遺跡で定住集落跡の例として日本最古級とされる。遺跡から2万点以上の石器が見つかった。床面中央に焼土粒・炭化物粒を埋土に含む炉と考えられる掘込みがある。縄文時代草創期の特徴である矢柄研磨器も見つかった。旧石器時代から変化した頃の縄文時代の住居構造を知るために重要な遺跡とされる。
調査地点1で住居跡の竪穴状遺構11基、配石遺構5基、集石遺構11基などが出土した。壁面や外周に柱の跡を検出した。地点1の住居跡は、暦年代で約1万3千年前とされる(AMS放射性炭素年代測定で、補正年代14000±50yBP。暦年代14840calBC)。調査地点2で竪穴状遺構1基、配石遺構1基、隆線文土器が出土した。石器として石皿・磨石のほか、尖頭器・石鏃などの狩猟道具が出土した。土器は圧縄文系、隆線文系、爪形文系などの縄文時代草創期の土器が主体である。器の周りに縄を押し付けた模様が付く押圧縄文土器がみつかる。その地点から10個所以上の竪穴住居跡が見つかった。ほぼ全ての住居から石皿と磨石が見つかった。竪穴住居跡は広場を中心として、周りを囲むような半円形の配置である。
縄文時代の最初期の遺跡であり、住居による定住生活と、土器による調理が始まった頃である。富士山の麓での食料は植物の種や魚などであろうか。
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