潤地頭給遺跡(うるうじとうきゅういせき)は福岡県糸島市にある弥生時代中期から中世までの複合遺跡である。
福岡県の北西部にあり、『魏志倭人伝』に伊都国として記された糸島半島の中央部の標高3mから4mの微高地に位置する。糸島平野のほぼ中央部に位置する。弥生時代中期を中心とする360基の甕棺墓、井戸枠に転用された2世紀未の準構造船、玉作工房が見つかっている。
平成14年7月に調査区内の遺構の状況と内容を知るため約1ケ月間をかけて全域を対象とした試掘調査を行った。弥生時代前期末〜中世にかけての複合遺跡と判明した。本調査は平成15年1月15日〜平成16年3月19日の 約1年2ケ月をかけて実施した。
範囲は一部が調査区外であるが、検出された3世紀頃の玉作工房の遺構として約30棟が検出された。南北130m、東西80m、9600m2の広大な面積に33軒の工房があった。平面は隅丸の四角形または不正隅円長方形であり、周囲に円形の溝を巡らす建物が多い。上屋の構造は切妻屋根を葺き下ろしたいわゆるテント状の簡易建物とみられる。 弥生時代終末期から古墳時代前期にかけて玉作りが行われたことを示す。玉作工房は周囲に円形の溝を巡らせる竪穴建物であり、東西100m、南北130mの広い範囲に広がっている。遺構から出土した石材として碧玉、水晶 メノウ、鉄石英、蛇紋岩、玉作り用の砥石がある。 碧玉ろ水晶は別々の建物跡からみつかった。工具として砥石、叩き石、鉄製加工異などがあり、いずれも住居内や排 水溝、土坑から出土した。
井戸は径60cm、深さ2mであり、6枚の部材により円形に作られている。井戸枠内から長頸壺、短頸壺、庄内式土器など20点がみつかった。井戸枠は準構造船を転用したものであった。船体断面がU字形であり、残存長は1.5m、幅82cm、厚さ3.5cmである。両舷に臍穴が見られ、溝を切って仕口をはめ込む仕口が作られている。船尾部分とみられる。樫原考古学研究所の福田さよ子の鑑定によれば、船底と舷側が杉材、船尾部はクスノキであった。全長は約6mと推定されている。
弥生時代に丸木舟ではなく準構造船が見つかったことは重要である。韓国への往復に使われたのであろうか。玉作り工房の製品はどこに出荷されたものであろうか。
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