桜井古墳
2025-08-13


桜井古墳(さくらいこふん)は、福島県南相馬市にある古墳時代の前方後方墳である。

概要

新田川下流域によって形成された河岸段丘の縁辺に位置する。前方部を西に面する墳丘であり、主軸の長さが約75mの前方後方墳である。桜井古墳群は総数44基で構成される大規模な古墳群である。「桜井古墳群1号墳」は東北地方で3番目に大きな前方後方墳である。上に登ることができる。後方部の南側の一部は削られているが、前方後方墳の整正な形態を残す。田川流域における有力な豪族が被葬者と考えられる。桜井古墳保存整備指導委員会の委員長を大塚初重名誉教授が勤めた。埴輪や葺石はない。なお福島県郡山市の「大安場古墳」は東北地方最大級の前方後方墳であり、田中舟森山古墳(福島県喜多方市)、天神森古墳(山形県天童市)がそれに次ぐ。は出土品は甕、鉢、高坏、長頸壺、など桜井式土器と呼ばれる。桜井遺跡は「桜井式」の標式遺跡である。石庖丁は「半月形外湾刃」や「紡錘形」のものが多い。

調査

第1 次調査は、1955年(昭和30年)に大塚初重によって実施された地形測麗調査であった。調査の結果、桜井古墳は主軸長75m、後方部長40m、後方部幅47m、後方部高7m、前方部長35m、前方部前端幅27m、前方部高4.5mの大型前方後方墳と確認された。後方部墳頂高に対して前方部の墳頂高が低い特徴があり、未発達の前方部がある古墳として古い形式を示す古墳といえる。1983年に第2次調査が行われた。墳丘の周囲の周溝を一部で確認した。主軸長は72m、前方部長30m、前方部高3m、後方部長42m、後方部幅45m、後方部高6.35mと訂正された。第3次調査では墳頂平坦面に墓道を確認した。後方部斜面から周溝にかけた範囲からは底部穿孔二重口縁壷が出土した。中央やや北寄りの2箇所に陥没坑が検出された。陥没坑は木棺が朽ちたところに、上層の墓拡埋土が崩落したことによって形成された窪みである。発掘調査の結果として、過去に未発達と評価された前方部は後世の掘削によって前方部のほぽ南側半分が掘削されたことが原因であることが確認された。復元された前方部の形状は、前方部側辺はくびれ部からほぽ直線的に前方部前端まで延びることが確認された。築造年代は出土土器から4世紀後半と想定されている。

規模

遺構

遺物

指定

展示

アクセス

参考文献

  1. 福島県原町市教育委員会(2002)「国史跡 桜井古墳」
[古墳時代]

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