ヒエ塚古墳
2025-10-24


ヒエ塚古墳(ひえづかこふん)は奈良県天理市にある古墳時代の前方後円墳である。

概要

墳長約125mの前方後円墳であり、オオヤマト古墳群の最も北に位置する古墳である。奈良盆地の東の龍王山から北西方向にのびる尾根上に、前方部を西にむけて築かれた。前方部が撥形に広がる平面形状であることから、出現期の古墳と想定されている。古墳は室町時代ごろに大きく破壊され、上部の葺石は残っていない。3世紀後半から4世紀初頭の古墳としては、箸墓古墳や西殿塚古坦などの大王墓に次ぐ規模である。周濠や墳丘の盛土から弥生時代後期から布留式期初期の土器片が出土した。これまでの調査では、埴輪は発見されていない。埋葬施設は未調査である。「山辺郡誌」によれば明治年間に勾玉・菅玉・金環・土器などが出土したとされる。

調査

1977年(昭和52年)奈良県立橿原考古学研究所による測量調査が行われた。墳長130m、後円部径約60mと推定された。古墳の周囲に周濠があると指摘された。 2002年度、奈良県立橿原考古学研究所による第一次調査が行われた。古墳築造時の溝から庄内式土器が見つかり、3世紀後半から4世紀初頭の築造の可能性が指摘された。 2013年(平成25年)、天理市教育委員会による第二次調査が行われた。後円部の南側で葺石の基底石が出土した。 2016年(平成25年)、後円部の北側で周濠、葺石、基底石を確認した。 2017年(平成29年)1月16日から3月までの調査で幅5.8m、深さ50cmの周濠を確認した。後円部の直径は70mになる可能性が想定された。 2019年(令和元年)、天理市教育委員会により第5次調査が行われた。前方部西側で、前方部前端で葺石や基底石を確認した。基底石の最大幅は約50cmである。 2020年(令和2年)1月15日から3月まで天理市教育委員会により第六次調査が行われた。ヒエ塚古墳が左右非対称である可能性が指摘された。第6次調査で地中レーダ探査を行った。前方部が撥形に広がる可能性が高まった。

規模

葺石 あり

埴輪 ない可能性が高い。

遺構

遺物

築造時期

展示

考察

指定

アクセス等 

参考文献

  1. 天理市教育委員会(2020)「天理市萱生町 ヒエ塚古墳第5次発掘調査 調査成果資料」
[古墳時代]

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