高輪南町遺跡(たかなわみなみまちいせき)は東京都港区にある縄文時代から近世、近代に至る複合遺跡である。
1925年(大正14年)頃には高輪南町遺跡は知られていた。遺跡は武蔵野台地の縁の高輪台地の上にあり、北側は古川、南側は目黒川に面する。2014年(平成26年)に行われた試掘調査により「信濃飯山藩本多家屋敷跡遺跡」と名前が付けられた。2018年(平成30)年6月から2021年(令和3年)1月まで行われた発掘調査では区内最大級の原始・古代の集落跡が発見された。そこで遺跡がすでに知られていた時期の町名である高輪南町を遺跡名とした。 調査では弥生時代の墓域跡が見つかり、また当地域では弥生時代における最大の遺跡が出土した。この遺跡は東京湾西岸地域における拠点集落と見られる。
平成30年7月から令和2年12月まで発掘調査を行い、縄文時代から近代の遺跡・遺物が出土した。
弥生時代後期の大規模な遺跡が検出された。弥生時代後期の竪穴住居跡として72軒が検出された。平面形状は隅丸方形で、各建物は主軸を揃えて北西方向に向いている。1辺7mから8mの方形周溝墓が2基発見された。うち1基は陸橋部がなく溝が全周するタイプであった。遺物として高坏、壺、甕などの土器、砥石、土製勾玉、銅鏃が出土した。
竪穴建物6軒と土坑状の祭祀跡がみつかった。竪穴建物から甑や甕がみつかり、祭祀跡から、石製勾玉1点、管玉5個、滑石製剣形模造品が検出された。祭祀で使用される遺物は、倭王権からもたらされた可能性があると見られる。
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