総社二子山古墳
2026-01-17


総社二子山古墳(そうじゃふたごやまこふん)は群馬県旧総社町(現・前橋市総社町)にある古墳時代の前方後円墳である。

概要

総社古墳群のなかで最大の規模の古墳である。前方部と後円部の区別が明確でなく、外観上は二つの円墳状に見える。主軸は東西方向にある。群馬県内の横穴式石室古墳の代表例であり、墳丘部は国有地になっている。墳丘は二段築成で、全長は89.8m、高さは前方部8m、後円部7.5mである。石室は南に開口し、前方部の石室は自然石主体であり、後円部石室は切石を多用している。封土の周囲に周溝の痕跡が認められる。堀幅は22.3 m以上と考えられる。慶長期以降、盗掘や探索的な掘削がたびたび行われたことが記録に残る。江戸時代後期の学者吉田芝渓の『上毛上野古墓記』(文化7年(1810))に記載されている。豊城入彦命(崇神皇子)の墓とする伝承があるが、これは考古学的に裏付けられたものではない。前方部石室から頭椎大刀が出土したと伝えられるが、現在は所在不明である。令和2年度調査では円筒埴輪が周堀から多量に出土している。円筒埴輪の透かしは円形で、外面の調整は縦ハケのみである。形象埴輪として馬形ないし家形埴輪片が出土しているが、出土量は少ない。

石室

前方部と後円部の両方に石室がある珍しい古墳である。前方部の石室は丸石組みの横穴式石室で羨道と玄室からなり、総長8.8m、玄室の長さ5.5m。後円部の石室は切石組の横穴式石室で羨道と玄室からなり、総長8.8m、玄室の長さ7m余である。石室規模やプラン構成など綿貫観音山古墳との共通性が指摘されている。石室壁面は榛名山から噴出した角閃石安山岩を加工したものである。 両方に石室があるのは群馬県内では総社二子山古墳だけである。後円部石室は群馬県内で最大級規模の石室である。円筒埴輪の特徴(縦ハケ・円形透かし)は築造年代を6世紀後半とする根拠の一つとなっている。

総社古墳群

総社古墳群の築造順序は以下である。 見山古墳(5世紀後半)→ 王山古墳、王河原山古墳(6 世紀初頭)→総社二子山古墳(6 世紀後半)→愛宕山古墳(7 世紀前半)→宝塔山古墳(7 世紀中葉)→蛇穴山古墳(7 世紀後半) 総社古墳群では6世紀後半に総社二子山古墳が最大規模として築造され、首長墓の更新が確認できる。

調査

考察

一つの古墳に二基の石室をもつ意味としては、被葬者が複数(主・副)であった可能性や、時期差による追葬・改修の可能性が指摘されている。加えて、前方部と後円部とで石材の種類や施工精度、石室規模に顕著な差が認められることから、両石室が同時期に築かれた場合であっても、被葬対象や儀礼的役割に差を設けた機能分化の可能性も考えられる。 また、このような構造は首長権力の継承や系譜の連続性を墳墓構造として表現したものと理解する見方も成り立つ。 綿貫観音山古墳との関係については、石室規模や切石の使用、羨道・玄室構成に共通性が認められ、同一系統の石工集団の関与が想定されている。これらの共通性は、首長層間の結びつきを背景とした広域的な築造ネットワークの存在を示すとともに、石室規模の差異からは両者の政治的序列関係を反映している可能性も考えられる。

規模

外表施設

円筒埴輪  円筒X式

葺石

遺構

遺物

指定


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[古墳時代]

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