蛇穴山古墳(じゃけつざんこふん)は、群馬県前橋市にある古墳時代の方墳である。
前橋蛇穴山古墳は、群馬県前橋市周辺に広がる洪積台地上に立地する。蛇穴山古墳は、愛愛宕山古墳・宝塔山古墳に続く三代にわたる首長墓系列の最終段階に位置づけられる大型方墳である。宝塔山古墳と至近の場所に位置する。 総社町中央の市立総社小学校校庭南端に接する。
蛇穴山古墳は古くから知られていた古墳である。南北朝時代の『神道集』には「蛇喰池の中島にある蛇塚の岩屋」と書かれ、『伊香保記』には「八郎権現の岩屋」と記載され、『山吹日記』などに記載されている。『上毛古墳綜覧』に総社町第8号墳と記載される。これらはいずれも中世に成立した宗教的・紀行的文献であり、古墳の実態を歴史的に直接伝えるものではないが、石室の存在や霊場化の過程を知るための手がかりとなる。
従来は一辺約30m規模の円墳と誤認されていたが、、2010年の発掘調査により発掘調査の結果、墳丘は東西約39.2m、南北約43.5mの方墳であることが判明した。前橋市教育委員会(1976)によれば、基準尺度は墳丘を高麗尺で設計し、玄室および前庭部を唐尺を基準尺度に用いたとみられる。高麗尺の1尺は35cmである。壁から墳丘北葺石板石間距離は、南北距離よりも4.3m長く、43.47mとなる。これは唐尺145尺で10cm不足する(144尺で20cm余る)、高麗尺で124尺±0となる。蛇穴山古墳の墳丘設計には高麗尺が基準尺度として用いられていた可能性が高いとされる。このことは、墳丘全体と石室・前庭部とで異なる設計尺度を使い分ける高度な設計思想が存在したことを示している。 墳丘下部には段葺石が存在し、川原石による化粧的な段葺石構造を有していた可能性が高い。古墳の大きさを外周溝で復元すると東西・南北とも82mとなった。中堤の葺石は0.5〜0.2mの河原石であった。墳丘長44m、周濠を含めた全長は82mの広大な範囲を占め、良好な保存状態であることが判明した石室は、卓越した石材加工技術により製作され、他に類をみないものである。巨大な切石を精緻に加工・組み合わせた構造は、北関東地方でも類例が少ない。周濠は残りが悪いが、僅かな情報から平均的な幅は11mであり、深さは1.1〜1.9mであったと推定されている。蛇穴山古墳は、北関東における大型方墳の終末像を示すとともに、設計尺度・石材加工・葺石構造のいずれにおいても高度な築造技術を示す重要な古墳である。
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