製塩土器(せいえんどき)とは、海水を加熱・濃縮し、最終的に塩を結晶として得るために用いられた土器の総称である。日本列島では、縄文時代後期末葉から古墳時代にかけて広く使用された。
海水中には約3%の塩分(主に塩化ナトリウム)が含まれており、これを土器に入れて加熱し、水分を蒸発させることで塩を得ることができる。日本における本格的な製塩の開始時期は、考古学的には縄文時代後期末葉から晩期と考えられている。
縄文時代の狩猟・採集生活では、獲物となる動物の肉や血、また海産物などから一定量の塩分を摂取できたため、必ずしも人工的な製塩を必要としなかったと考えられる。しかし、弥生時代以降、稲作が普及し米を主食とする食生活が定着すると、塩分摂取の重要性が増大した。米に多く含まれるカリウムは体内のナトリウムを排出しやすくするため、塩の継続的な摂取が不可欠となり、製塩活動は社会的・経済的に重要な生業となっていった。
製塩土器は、通常の鉢や甕などの容器形土器と比較して、熱効率を高めるために器壁が薄く作られていることが多く、内面が比較的平滑に仕上げられている点が特徴である。また、使用時には急激な加熱・冷却を繰り返すため、破損しやすく、完形品で出土する例は少なく、多くは破片として発見される。
製塩土器の判定は、主に
といった複数の要素を総合して行われる。
土器の分布を見ると、縄文時代後期・晩期には関東地方および東北地方の太平洋沿岸部に比較的広く認められる。一方、弥生時代後期から古墳時代にかけては、西日本を中心とした沿岸地域で製塩遺跡が顕著となり、若狭湾沿岸、能登半島、瀬戸内海沿岸、伊勢湾沿岸などが主要な製塩地域として知られる。
『万葉集』や各地の『風土記』にみえる「藻塩垂る」という表現は、海藻(ホンダワラ類など)に海水を繰り返しかけ、天日乾燥させることで塩分濃度の高い鹹水(かんすい)を作り、それを煮詰めて塩を得る工程を詠んだものと解釈されている。作例として巻6-935(笠朝臣金村)の長歌が挙げられる。煎熬〈せんごう〉の手法は製塩土器を使用して製塩炉にかけて塩を作る。
瀬戸内海沿岸で出土する製塩土器は、形態と時期の違いから、概ね次の三つの型式に分類される。
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