三国史記は朝鮮半島に成立した新羅・高句麗・百済の三国の歴史を体系的に記した、現存最古級の正史である。
本書は、高麗王朝第17代王・仁宗の命により、1145年(皇統8年)に金富軾(キム・ブシク)を中心とする史官団によって編纂された。編修には金富軾のほか複数の官僚・史官が関与し、完成後、同年中に王へ進上されたとされる。
編纂方針は、中国の正史、とくに『漢書』以降に確立した紀伝体の形式を強く意識したものである。構成は、新羅・高句麗・百済それぞれの王朝史を扱う本紀を中心に、年表・制度史・人物伝を配した全50巻から成る。内訳は、新羅本紀12巻、高句麗本紀10巻、百済本紀6巻、年表3巻、雑志9巻(祭祀・服制・車制・器物・建築・地理・官職など)、列伝10巻である。
現存する完本のうち、最古とされるものは李氏朝鮮中宗代(16世紀前半)に慶州で刊行された木版本である。
一方、『三国史記』以前にも、著者不詳の旧『三国史』と呼ばれる史書が存在した可能性が指摘されており、1010年以前に成立していたと推定されている。旧『三国史』では高句麗・新羅の順で叙述されていたとされるが、『三国史記』では新羅を最初に配置する構成へと改められた。構成上、新羅を最初に配置する点は、三国の序列を意識した編纂方針を示すものと考えられている。
史料の採用に関しては、中国史書からの引用が極めて多く、これに対して高句麗や百済の固有史料は整理・削減された可能性が指摘されている。これは、金富軾の歴史観は、忠・孝・礼を重んじる儒教倫理を基盤とし、王朝の安定と統治秩序を正当化する方向に傾いている。そのため、地方勢力や在地的伝承、仏教的・神話的要素は抑制的に扱われ、国家中心の視点が前面に出ている点が特徴である。引用原典は多岐にわたり、新羅関係では新羅系史料約40種、中国史料40種余、日本資料1種、高句麗関係では高句麗系史料約10種、中国史料十数種、百済関係では百済系史料数種と中国史料が用いられた。金富軾の歴史観は、忠・孝・礼を重んじる儒教倫理を基盤とし、王朝の安定と統治秩序を正当化する方向に傾いている。そのため、地方勢力や在地的伝承、仏教的・神話的要素は抑制的に扱われ、国家中心の視点が前面に出ている点が特徴である。
これらの原史料の成立年代を見ると、高句麗系史料は4世紀後半、新羅系史料は6世紀中葉、百済系史料は5世紀末頃の編纂と推定されている。朝鮮側の史料としては、『古記』『海東古記』『三韓古記』『本国古記』『新羅古記』のほか、金大問による『高僧伝』や『花郎世記』などが参照された可能性が指摘されている。
なお、一般に東アジア古代史料の史実性については、編纂時点から遡れる期間に一定の限界があるとされ、日本の奈良・平安期の歴史書との比較から、おおむね60年程度が同時代史としての信頼性の一つの目安と考えられている。この点を踏まえ、『三国史記』も編纂意図や史料選択を考慮した上での利用が求められる。
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