金井下新田遺跡
2023-05-20


金井下新田遺跡(かないしもしんでんいせき)は、群馬県渋川市にある古墳時代後期の遺跡である。

概要

東側は高さ20mほどの段丘崖に区切られる。「甲を着た古墳人」が出土した金井東裏遺跡の南に隣接する遺跡である。6世紀初頭の榛名山噴火で発生した火砕流で被災した古墳人の歯及び馬が出土した。榛名山から北東の山麓に位置し、噴火口から8kmの位置にある。 金井下新田遺跡の集落の開始時期は5世紀中頃で、6世紀初頭の榛名山の噴火で終わりを迎える。 発見された馬は骨格だけでなく馬体の輪郭が残り、どのような馬が集落内にいたのかを具体的に明らかにできるものである。古墳時代の馬歯骨の発見例はあるが、全身骨格がわかる例は極めて少なく、大阪府四条畷市蔀屋北遺跡SK940や、長野県飯田市宮垣外遺跡SK10の埋葬例などに限られていた。遺跡出土の全身骨格及び渋川市白井遺跡群の馬蹄跡の統計的研究から、木曽馬に近い中形馬であったとされる。

調査

平成29年から29年に発掘調査を行い、6世紀初頭の榛名山噴火に伴う火砕流堆積物で埋没した金井下新田遺跡の5号竪穴建物から、古墳人の歯と馬2体(1号・2号)が発見された。6号竪穴建物からも馬とみられる獣骨1体が出土した。馬はいずれも、頭骨と四肢骨の一部が残存している。火砕流中に四肢を伸した状態であった。祭祀遺物は火山灰下にそのまま残されていた。土器や子持勾玉臼玉、石製模造品などの祭具を用いた祭祀行為の具体的な様子や、一連の行為の経過がわかる可能性のある重要な発見である。

榛名山の噴火

西暦500年以降の噴火は「榛名-伊香保噴火」と呼ばれ、テフラと考古遺跡の関係が詳しく調査されている。最大の噴火は、525年から550年の間で、噴火Mは5.3である。マグマ噴火から、マグマ水蒸気噴火が起き、泥流が発生した。降下火砕物と火砕流が発生している。

遺構

噴火直前の集落は建物の有無や種類により3つのエリアに分かれる。

遺物


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[古墳時代]

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