太田天神山古墳
2024-11-14


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太田天神山古墳 (てんじんやまこふん, Tenjinyama Tomb)は群馬県太田市にある東日本で最大規模の前方後円墳である。「男体山古墳」「天神山古墳」とも言われる。 日本100名墳に選出される。

概要

東日本で最大、全国でも26番目の規模である。太田市は、群馬県の東部の平野部に立地する。丘の周りには馬蹄形の二重の周堀(内堀・外堀)が巡り、北約345m、東西約325m にわたり墓域が形成されている。北東に天神山古墳に付属する陪塚がある。墳丘は、河原石の葺石で覆われている。墳丘上、中堤帯の一部に埴輪が立てられていた。墳丘は3段築成。周濠覆土層に榛名山二ッ岳火山灰(F.A.)が堆積する。埋葬施設は盗掘されており、長持形石棺の一部が転落していた。表面は渡良瀬川水系で採取したと思われる川原石の葺き石で覆われていた。

同名の古墳

全国に「天神山古墳」は多数あるので、地名を前に付けて区別される。

調査

江戸時代に棺として使われた大型の長持形石棺が発見された。凝灰質砂岩製の縄掛突起を有する長持形石棺の底石棺材が遺存する。長持形石棺は4世紀代の畿内大和政権における大王の古墳、あるいは地方の巨大前方後円墳に採用されている石棺である。1957年(昭和32年)8月、墳丘の測量調査、1965年(昭和40年)、太田市教育委員会による内堀の発掘調査が行われる。1993年(平成5年)、後円部西側中堤部における民家造成に伴う発掘調査が行われる。中堤上で円筒埴輪列を発見した。1999年、外堀の発掘調査が行われる。円筒埴輪とS字状口縁台付甕片を発見した。

規模

外表施設

遺構

遺物

築造時期

被葬者

指定

アクセス等

参考文献

  1. 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社
  2. 太田市教育委員会指導部文化財保護課埋蔵文化財係(1999)『天神山古墳外堀発掘調査報告書』太田市教育委員会
[古墳時代]

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