金錯銘花形飾環頭大刀(きんさくめいはながたかざりかんとうたち)は東大寺山古墳から出土した日本最古の出土した銘文刀剣である。
金錯銘花形飾環頭大刀には24文字の金象嵌の銘文があり、後漢の年号「中平」(184年〜190年)の銘をもつ。年の部分は判読できない。
中平は後漢の年号であり西暦184年から189年である、長さが1メートルを超える太刀を弥生時代から古墳時代前期までの間に日本列島における製造技術はまだない(参考文献3,p.201)。
紀年銘をもつ日本最古の遺物であり、中国製刀身部を改造して三葉環頭を基に退化した直弧文を施した日本列島独自の環頭部に差し替えたとみられる。現在は国宝に指定されている。2世紀後半の大刀が、4世紀の古墳から出土したので、150年間伝世したことになる。直弧文は日本列島独自の文様であるため、柄頭は日本列島で作られたものとされる。
大刀は2世紀後半に中国大陸で製作され、日本列島に運ばれ、4世紀に柄頭が取りつけられた、とする説が有力となっている。さらに卑弥呼が中国の皇帝からもらった大刀であるとみる見解がある。中平は後漢の霊帝の時代の年号であり、184年から189年を指す。『魏志倭人伝に記載される「倭国乱」「倭国大乱」(宋書)が終結した時期は2世紀の末である。卑弥呼の就任時期と近接する。分析によれば、金象嵌の「金」は99.3%以上の純金で、不純物の銀を取り去った技術としては、5世紀の稲荷山鉄剣では銀が10〜30%含まれているのと比較して、技術が高度である。
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