白河市歴史民俗資料館(しらかわしれきしみんぞくしりょうかん)は福島県白河市の歴史を紹介する資料館である。
白河市歴史民俗資料館は昭和54年に開館し、白河地方の歴史と文化について紹介する施設である。原始古代では白河市内や周辺から出土した縄文土器・土師器・須恵器・古瓦などを展示する。
人面付弥生土器は1940年に滝の森B遺跡(表郷番沢)から完全な形で出土した。球形の胴に長い頸をもつ壺である。口から頸にかけた部分の表裏の2面に人の顔が表現されている。土器の特徴から弥生時代中期に位置づけられている。高さ25.3cm、胴径16cmである。 人面部分は眉・鼻・顎の輪郭、耳は粘土を貼り付けて表現している。目と口は沈線で四角形に区分し、その内部に短い斜線を入れる。顎と頭の突帯に円形の刺突文をつける。隆帯上の刺突文や胴部の一部に朱彩の痕跡が見られる。目の周囲と口の周囲は入れ墨を表しているとの意見がある。1966年に実施された発掘調査では墓と見られる土坑が確認された。他地域の事例から墓に関わる土器との可能性がある。人面付弥生土器は、人の顔がついた土器で、東海から東北南部にかけての地域で見られる。
白河市表郷地域の高木地区と三森地区に標高403mの建鉾山(武鉾山)が所在する。伝説によれば日本武尊が東征した際、この山頂に鉾を建てて神を奉斎したとされ、頂上に建鉾石といわれる岩と小祠がある。昭和32年(1957年)、この地で石製模造品が発見されたことを発端として國学院大学の亀井正道等により第一次調査、翌昭和33年(1958年)に第二次調査が行われた。遺構の検出はなかったが、鏡・勾玉・剣・鎌・刀子・斧頭形、有孔円盤、小玉等の石製摸像品、その他の鉄鉾、青銅製擬鏡、鉄刀、鉄剣の金属製品、土師器、壺、高杯等の遺物が出土した。古墳時代中期の東北では最大の祭祀遺構である。出土状況から祭祀の終了後に廃棄されたと考えられている。山の麓の三森に居館を構える豪族が神や精霊の祈りを捧げたと考えられる。
人面付弥生土器自体は珍しくないが、両面に顔をつける土器は珍しい。顔面は口縁の上に着くタイプや口縁の下に付けられるタイプがある。顎と額に粘土を貼り付けた突帯で立体感を表す。額はあたかも王冠のようにも見える。目と口は線刻であるが、枠内に斜線の沈線で複雑化し、何らかの感情を表しているようにみえる。
コメントをする