下宅部遺跡(しもやけべいせき)は東京都東村山市にある縄文時代後期の遺構を中心とする複合遺跡である。
縄文時代後晩期に於ける水辺利用のための施設である。古代から中世にかけての湧水地付近の谷から丘陵部を利用した古墳の水場遺構である。分銅形打製石斧、弓、丸木舟、容器などの木製品の製作、漆液の加工、漆製品の製作、鹿・猪の解体、トチの実の加工などを行った。遺跡の一部は現在、公園として保存されている。
下宅部遺跡では当時、漆を採取した後の木を杭として利用していた。杭は5年から6年の若木が多い。木に漆液を採取したときにできる傷があった。細い木では傷の間隔が狭く、太い木では間隔が広くなっていた。無駄の少ない間隔を知っていたことになる。漆関係の出土は他所にはない大きな発見であり、ほぼ原型のままの状態で発見されたため、当時の漆工技術を知る手がかりとなった。 漆製品としては飾り弓10点が出土した。赤色/黒色の漆を弓に塗り、糸や樹液、砂混じりの漆などを巻き付ける。飾り弓はすべて壊れた状態で発見された。漆液容器は深鉢形土器を再利用したもので、漆中の水分をくろめ作業の工程で使用された。
1999年(平成11年)に縄文時代後期の水場遺構から丸木舟未製品が発掘された。調査団はこの大型加工木材を詳しく調べた結果、縄文人が丈夫なケヤキを加工しながら製作していた丸木舟であったが、何らかの理由で未完成のままであったと判断された。大型加工木材は奈良県の施設に運び、約4年間かけて特殊な薬品に漬け込む保存処理を施した。
1995年(平成7年)の発見以来、約10年の発掘・整理調査を経て、報告書が刊行された。東京都と埼玉県の境である狭山丘陵の東端近く、東村山市多摩湖町四丁目3番地で発見された。縄文時代後期、加曽利B式期の頃(約3,500年前)の水辺での作業の痕跡がよく残っている。洪水による埋没後も、川が地下水となって流れ続け、漆や木材など普通の状態では腐る有機質の遺物が、良好な状態で保存されていた。漆工・カゴ編み・木材加工の他、堅果類の下処理やシカ・イノシシの解体作業、マメやアサの利用の様子が見られる。下宅部遺跡からは漆塗りの弓や杓子などの漆塗り木製品が出土し、調査中から全国的に「縄文の漆」で知られるようになっていた。報告書作成に向けた整理作業の中では、漆の木に水平な傷が付いていることが発見され、縄文時代初の漆樹液採取の痕跡が確認された。
下宅部遺跡から出土したウルシの杭500点中70点の杭は樹種同定によってウルシと同定されている。工藤雄一郎(2007)は線状の痕跡のある8点のウルシの杭について放射性炭素年代測定を実施した。年代値は3725〓3375cal BP の間で大きくふたつのグループに分かれており、古い一群は縄文時代後期前葉の堀之内1から2式期に位置づけられ,新しい一群は縄文時代後期中葉の加曽利B1〓B2式期に位置づけられると結論づけた。
工藤雄一郎・佐々木由香他(2007)は下宅部遺跡で検出された植物利用の遺構や遺物の時間的変遷を,放射性炭素年代測定結果に基づいて、年代学的な視点から提示した。射性炭素年代測定の結果として、測定対象とした遺構・遺物は約5300〓2800cal BP の約2500年の間に形成されたことが判明した。下宅部遺跡の遺構や遺物は,おおよそ5 つのグループに区分できるとした。
セコメントをする