七社神社裏貝塚(ななしゃじんじゃうらかいづか)は東京都北区西ヶ原にある縄文時代の貝塚である。
七社神社は子宝・安産・お宮参り・厄除・方除・開運招福で知られる。西ヶ原村の鎮守であり、かっては無量寺境内の高台、現在の旧古河庭園内にあった。 明治初年に、神仏分離により現在の地に移され、近隣に七社神社前遺跡と七社神社裏貝塚とがある。七社神社前遺跡からは、原型をとどめた古代人のブレスレット・鉄釧 (北区指定有形文化財。北区飛鳥山博物館蔵)が出土した。 「七社神社裏貝塚」は武蔵野台地北東端部の本郷台の中の標高23m前後である上野台に立地する。境内から隣地にかけての一画は「七社神社裏貝塚」として知られ、縄文土器・弥生土器・土師器等が出土し古代人の生活の場であった。縄文中期中葉の住居址内貝層である。第一地点から縄文後期前葉の土坑内貝層が出土した。多種多量の鳥獣魚骨があり、土坑内より堀之内1式土器の良好な一括資料が出土した。第二地点の土坑内から堀之内1式土器の良好な一括資料が出土した。出土した貝殻はほとんどがヤマトシジミであった。明治大学の阿部芳郎は当時は中里は浜辺であり、七社神社裏に住んだ人々は付近の小川で取れるヤマトシジミを取っていた。
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